sfsorrow67さん





























      Tardes Cariocas /Joyce























      Real Kids /Real Kids

@音楽に関するメッセージ
 かっこ良く言えば「魂の交感」であり、
 「いろんな限界や制約の中でも
 自由にハッピーに悔いなく生きたいという気持ちの精神的支柱/道標」。
 かっこ悪く言えば「リセットしなければならない人生からの逃避先」。

A好きなミュージシャン
 ドナ・イヴォニ・ララ、リメインズ、テレヴィジョン、ジョナサン・リッチマン、オンリー・ワンズ、
 デイヴ・エドモンズ、リチャード・トンプソン、アラン・トゥーサン、大貫妙子、カーネーション

 

B好きな楽器
 強いて挙げればギターだが、バンドの音が好き。

C趣味
 レコード収集。
 いい歳をして欧米の60〜70年代前半のオリジナル盤を中心に
 漁っているジャンキーの自分をいいかげん呪っている。
 一方、ジャケ買いでの当たりの出合いが今でも嬉しかったりする・・。
 他は、旅行、散歩、読書、子供と遊ぶこと。


D好きな風景
 高くて青い空、目にまぶしい緑、静かな海、石畳の坂道。

Eあなたにとっての名盤
Give 'Em Enough Rope動乱(獣を野に放て)/Clashクラッシュ(1978年)
 78年の11月、エルヴィス・コステロが初来日し、燃えさかるエネルギーをぶちこんだ
 怒涛のライブ(一言のしゃべりも(当然スマイルも)、アンコールも無し)を行い、
 竜巻のように引き揚げていった(トータル45分)。
 客は全員ただ圧倒されて張り付くように座っているしかなかったが、
 この日突きつけられたのは、コステロから日本のロック・ファンへの「落第通知」であると同時に
 いささか乱暴な「パンクへの招待状」だった。
 その頃の主流である、「テクがすごくて、洒落ていて、心地よいが、
 心に残らなない音楽(自分も‘流れ’で聞いていた)」の正反対ではあったが、
 その切迫感、息苦しさにこそ、
 リアリティやハートやアートが詰まっていると遅ればせながら気付かせてくれた。
 こうしてパンクが始まってから3年も経ってからようやくパンクに目覚めた。
 同じ頃、英国で発売されたばかりのクラッシュのセカンドも聞いた。
 まず‘メタリックかつ圧倒するようなギターの音の壁’に神経を逆なでされる一方で
 ‘ラフでスピード感溢れるロックンロール’に惹きつけられ、好きか嫌いか判断不能に陥った。
 エイッと飲み込んだら全部が金縛り的快感に変わった。
 それからは、チンピラと社会派と文学が入れ替わり出てくるような歌詞
 (意味は断片的にしか分からなかったが、そのなまなましさ、鋭さ、ただならぬ雰囲気)に、
 「このままじゃいけない。何か行動しなければ」という思いに駆り立てられた。
 とどのつまりは「直感を信じよ」とか、「(流されずに)自分の頭で考えて行動しろ」といった
 ‘ロックの教え’の洗礼をパンクによって受けた、ということなのだろう。
 今から思うと、音楽というよりは、
 自我や価値観の固まる時期と重なったということなのかもしれない。
 とにかくパンクという異様な熱を帯びた音楽抜きには、こうしたことは起こらなかったと思うし、
 これが自分にとって特別なインパクトを持つ1枚となった。


My Aim Is True マイ・エイム・イズ・トゥルー/Elvis Costello エルヴィス・コステロ(1977年)
 当時、上記のクラッシュの「動乱」に次いで刺激を受けたのが
 エルヴィス・コステロのセカンド「ディス・イヤーズ・モデル」で、
 そのほとばしる勢いが大好きだったが、
 今に至るまで愛聴しているのは、ファーストの「マイ・エイム・イズ・トゥルー」。
 オネストで1本筋が通っていて新鮮。
 陽が当たらない中で蓄えてきたオリジナルの音楽を携えて道なき道を踏み出す
 ‘ひとりぼっち感’と‘潔さ’がいつも自分を励ましてくれる。
 たとえ低予算ではあっても、アイディアと才能と夢と情熱があれば、
 エスタブリッシュを凌駕することもできるというDIYパワーを実証した
 初期STIFFレーベルの金字塔でもあり、自分にとってこのレコードは宝物。

Real Kids リアル・キッズ /Real Kids リアル・キッズ(1977年)
 パンク・ニュー・ウェイヴ系を聞き始めた78年の後半から80年代の初頭まで数年間は、
 初期パンクの直接的なメッセージは影を潜めていった替わりに、
 その遺伝子を受け継いだ数え切れないほどのバンド、アーティスト
 (XTC, DEVO, POP GROUP, IAN DURY, TALKING HEADS, ベテランのPETER GABRIEL等)が
 音楽的・音響的実験にしのぎを削っていてメチャクチャ面白かった。
 ただ、初期の新鮮さが長続きしないバンドが多く、
 毒がなくなってコマーシャルに走り過ぎたり、 逆に過激に走り過ぎて硬直化したりして
 82年頃には夢中になれる音楽が少なくなってきた。
 代わりに台頭してきたハードコア、ネオアコ、ラップには、
 入れ込むところまではいかずという虚脱感の中で、
 60年代ガレージ・パンクとパワー・ポップに走った。
 ということで、パワー・ポップのお気に入りはReal Kids。
 ちょっぴり甘酸っぱいメロディに乗せて、
 ラウドでつんのめり気味で心かきむしるようなロックンロールを聞いていると、
 「これがロックの原点で、今も自分を惹きつける理由。
 もう他に何もいらない」という気持ちになる。
 青春の爆発と孤独と焦燥が真空パック。
 エンジニアリングとかカッティングも最高。


Boulders ボールダーズ /Roy Woodロイ・ウッド (1973年)
 初期の10CCとかロキシー・ミュージック、スパークス、トッド・ラングレン、ニール・イネスといった
 アート・スクール、魔術師系の音楽にも魅せられた。
 中でもロイ・ウッドの「ボールダーズ」は、「サージャント・ペパーズ」以降試みられてきた、
 実験とポップとロックのマジカルな融合の最終到達点。
 新緑の中で聞くと弦楽器の響きも格別で、幸福な気持ちになります。
 肩の力が抜けたちょっと緩い雰囲気の中で
 次々と泉のように湧いてくるアイディアとメロディは変幻自在で、まさに音の玉手箱。
 アーティスティックなピーク! 最後にはノリノリです。


Extension of a Man 愛と自由を求めて/Donny Hathawayダニー・ハサウェイ(1973年)
 サラリーマンに疲れて家に帰っても何もしたくない時に、
 心の平穏を取り戻そうと何十回も聞いた。
 スーッと沁みてそこはかとなく落ち着き、
 CDを通しで聞き終わる頃までには、さらにちょっとした高揚とリフレッシュをもたらしてくれる。
 もはや聞く温泉というかオアシス。
 その間は、束の間、別の理想の世界に行ってしまっているのだと思う。
 こんな歪んだ聞き方をして申し訳ないですが。

 

Pieces of a Manピーセス・オブ・ア・マン/Gil Scott-Heronギル・スコット・ヘロン(1971年)
 レコード屋でみかけた再発LPのジャケットとタイトルに惹きつけられて、
 一度も聞いたことはなかったが購入。
 バーナード・パーディとロン・カーターのジャズ・ファンクに乗ってのっけから鋭い語りで
 「The Revolution Will Not Be Televised」が始まった瞬間、
 稟とした緊張感に心を奪われ背筋がピンと伸びる。
 やりきれないような悲しみや怒り、自由や希望についての普遍的な深みを持ったメッセージが、
 ニューソウルやファンキー・チューン、ピアノをバックにしたビター・スイートな語り等、
 当時の音楽を呼吸しながらも呑まれることなく
 自分のコアを貫いたことで永遠に新鮮な傑作が生まれた。
 

Tardes Cariocasカリオカの午後 /Joyce ジョイス(1983年)
 昨年(2007年)11月に見たジョイスのライブの何とすがすがしかったこと。
 このアルバムのジャケットの可愛らしい写真とは別人
 (眼鏡ザル出っ歯おばさん(失礼))と化していたが、
 でもやっぱりとびきりチャーミング。とめどなく紡ぎ出されるメロディとリズム、
 音楽への集中力、時折見せる茶目っけも含めて、
 音楽の神様に魅入られた特別な存在に思えた。
 このアルバムはEMIから発売された「フェミニーナ」の大成功後の2作目のアルバムだが、
 自主制作盤で、自主ならではの「好きなことを自然体でやっている」という解放感に満ちている。
 口笛で始まって、スキャット、ジャズ・サンバ、MPBの間を自由に飛び回る快感! 大好き。

青空/佐藤博(1976年)
 生まれついての「自由人」の目に映ったこと、感じたことを、
 グッド・ミュージックな演奏(坂本龍一(まだ在学中)、村上律、松田幸一、佐久間順平、
 細野晴臣、友部正人、村松邦男他)に乗せてあったかい声で歌う、何とも味のあるアルバム。
 自然にこぼれ出たようなシンプルでさりげない歌の数々
 (かんしゃく玉、忘れ物、かま猫、青空、私の自転車等)は、
 人生の真理(楽しさと悲しさ)に満ちている。
 世に出た奇跡と出合えた奇跡に感謝!

The Road to Ruin ザ・ロード・トゥ・ルイン/John and Beverley Martyn
ジョン&ビヴァリー・マーティン (1970年)

 70年当時のブリティッシュ・ロック、フォーク、ジャズの一番良いところが溶け合って
 “硬質なメランコリー”へと結晶した最高のアルバム。当のジョン・マーティンは、
 このアルバムのプロデュース(byジョー・ボイド)が「オーバーダビングし過ぎで
 自発性が失われた」と不満だったようで、
 確かに、Paul Harris、Wells Kelly、Dave Pegg、Danny Thompson、Alan Spennerという、
 英米混成の選り抜きのミュージシャンが生み出すであろうケミストリーやクオリティを
 意図的にねらった面もあったとは思うが、
 高いミュージシャンシップと「良いアルバムを作るぞ」というプロデューサーのこころざしが、
 それ以上の結果を引き出している。「溜め」を効かせつつ心地良い緊張感が貫いている。
 「Primrose Hill」、「Auntie Aviator」といった楽曲も最高に良いし、
 ジョンのニュアンスに富んだつまびきギターや呟きボーカル、
 ビバリーのボヘミアンな歌い方(シンプルで文学的な問いかけや言い切りがかっこいい)も
 すごく魅力的。最後の曲(アルバム・タイトル曲)はなぜかストーンズとトラフィックが
 ジャム・セッションしているようなラフでホットなインストナンバーで、
 いつも「あれ? なんでこれが入っているのだろう」と思いつつも、
 これも当時を感じさせてくれて好き。最近の愛聴盤。


Idlewild South アイドルワイルド・サウス/Allman Brothers Band
オールマン・ブラザーズバンド(1970年)

 最後なので、何か‘血湧き肉躍る音楽’ということでピックアップしたのが
 オールマン・ブラザーズバンドのセカンド。
 割と最近、何気なく英国盤オリジナルを入手して以来、結構しょっちゅう聞いています。
 A面はのっけから全編ファンキーロック。
 音がキラキラ立っていて、立体的ノリのリズムセクションに
 デュアンのスライドが鋭く切り込んだり、クークー言っています。
 B面はブルース(「hoochie coochie man」)で始まり、泣きのサザン・ロックを挟んで、
 最後はグレッグ真骨頂の‘畳みかけるようなボーカル’に
 ツインリードがかぶさる必殺ドタドタチューン(「leave my blues at home」)で幕。
 これと次作の「フィルモア・イースト・ライブ(タイムマシーンに乗って見に行きたいライブNo.1)」、
 リトル・フィートの「ディキシー・チキン」あたりが、自分にとってアメリカン・ロックの最高峰。
 両バンドとも、オリジナルで、エキサイティングで、リズミックで、
 しかも知的(洗練されている)でかっこいい。


<08・6・2>